邦題:七人の侍
原題:同
監督:黒澤明
主演:三船敏郎・志村喬
公開:1954年
(著:hanea)
少しの暇が出来たので映画でも見ようかと思うけれど、映画丸々1本見るには少しばかり時間が足りない…なぞというとき、見たこと無いやつを途中まで見ようとは思わず、前に見て面白かったやつを途中から見たくなる性分でして。今回ピックアップのお題はそうして何度見たことか。そして途中を見てしまったら、今度はわざわざ暇を作って最後まで見るというのを何度繰り返した事か。
本題。
本作は急造で集まった7人の侍達が農民を引き連れて盗賊(野武士)から村を守るというチャンバラ時代劇。世界のクロサワ代表作にして、後の映画にも多大な影響を与えたという映画史の話題的にも最重要な作品のひとつ。しかしながら、古い・長い・時代劇という三重苦で2015年の平成時代に人にオススメしてもなかなか見てもらえなくてなんか悔しい気持ちになる個人的にはもどかしい作品。僕が今まで見た映画の中で一番好きな映画。
本作は純粋な映画としても十二分に楽しいし、世界的に有名な作品だけあって撮影時のエピソードやら伝説的な逸話、出演俳優の回想等が書籍、雑誌、テレビ番組、インターネット等を通じて数多く発信されており、見た後でそれらの情報を引っかき集めるのもまた楽しい。また、撮影技法や演出も「本作が世界で初めて」みたいなのが多くあるそうで、これを調べてフムフムと頷くのも楽しい。見ている最中も見終わった後もずっと夢中になれる贅沢さが実に素晴らしい。
物語は、「侍集まる」・「野武士との戦闘準備」・「最終合戦」が均等な時間配分なので大まかに3部構成。個人的には 「侍集まる」・「野武士と戦う」 の2部構成といった印象。未見の人には有名過ぎて何か小難しいヒューマニズムやら考えさせられる重い展開の作風なのではと思われがちだが、分かり易くテンポの良いストーリーにCG一切無しの泥臭いアクションシーン満載の娯楽作品。3時間があっという間に過ぎた。娯楽作品とはいえ、悪に立ち向かって正義が完全勝利して幕を閉じるという単純明快愉快痛快なものではなく、完全なるハッピーエンドでは終了しない……にも関わらず、じゃあ続きが気になるから「続・七人の侍」作ってくれ!!とかなんか納得いかねえ!!とか思う事もなく、物語が終われば「ああ物語が終わった!」とがっつり食って満腹といった充足感のあるボリューミィな中身。視聴が終わると、有りそうでいてなかなかに無い余韻。古い映画のため音響があまり良くないらしくセリフが聞きづらい(&あまり普段つかわないサムライな言葉使い・百姓な言葉遣い多数のため聞き取れない)ので字幕表示鑑賞を強く推奨したい。
見どころはもう何をどこから挙げて良いやらわからないほど多岐にあるけれども、自分は侍が集まり始めてから野武士のアジトを焼き討ちに行くまでが異常に好き。ほぼ面識の無い7人のオッサン(1人若者)が揃い、一同に会してからはもう画面上の7人の配置・各個人の微妙な表情・照明の明暗、1カット1カットの画面が1秒毎に全部PCの壁紙にでもしたいほど全部格好良い。仲良し7人組で無し、手練の7人組でも無し、互いに互いをそんなに知らない、腕のレベルも境遇もバラバラな7人。それでも各々が誰にももたれ掛からず七者七様に凛としてそこに居て、それでも1個のチーム然として纏まってる様ときたら男の子大歓喜のハードボイルドな格好良さ。昨今世界中の物語に数多の一味が存在する中で、この一団一味が「七人の侍」のほんの一時しか揃わないし、見ることが出来ないのが心底勿体無いと思う。各個人の個性も各々に立っており(初見だと七郎次と五郎兵衛がやや薄く感じるかも?)、誰も物語の見えない場所に埋没していかないから余計に「七人の侍」が「七人」で居るほんの一握りの時間がいつまでも際立つ魅力に満ちている。
主演は黒澤映画と言えばの志村喬(島田勘兵衛役)に三船敏郎(菊千代役)が2大巨頭!といった感じで、残り5人の侍が準主演?といった感じ。自分はもうこの2俳優のイメージは本作の役どころのイメージで固まっており、違う映画でこの方々を見るたびに、「ああ勘兵衛が冴えないオッサンに…」とか「菊千代が重役かよ!」とか思ってしまう。前々から俳優のイメージを勝手に1つに固定してしまうのはあまり良い事では無いなと思っていたけれど、不思議とこの作品を見てこの2人のイメージが2人の強烈なキャラクターのイメージで固定されてからは、自分が自分の頭の中で楽しむ分にはこういう見方こそ楽しいなと思うようになった。何故そう考え直せたのかはわからない。
そして演者の中では本作で千秋実(林田平八役)という俳優を初めて知った。自分は林田平八という登場人物を大変に気に入っており、その流れで千秋実という俳優が大好きになった。千秋実の私生活や生活はまるで知らないが、他作品で千秋実が出演しているともう千秋実の演じるキャラクター ガンバレガンバレ!活躍しろ!!という気持ちになる。同監督作品「羅生門」ではよく糞演技とレビューされていて自分も確かにそうだと思ったが、これが千秋実とわかってからは、そうだね坊主の言うとおりだね。うんうん!という気持ちである。どうして脇役のオッサンをここまで気に入ったのかはわからない。
でもきっと、本作のキャラクターがあんまり魅力的で、それがそのまま俳優にまで派生してしたんだろうと思うことにしておる。
世界の著名人の本作評価も実に面白い。アンドレイ・タルコフスキー監督が菊千代の最終シーンで泥に塗れた丸出しの尻が雨に打たれて洗い流されていく様を「魂の浄化」と評した話は特に面白いと思う。そんなところまで見ていて、しかもそんなところまで考えるのか…。芸術家たちの着眼点と発想は一般人レベルではもはや笑うしかないなと思わせる逸話。そして、それを踏まえてもう一度見るともうなんか確かにそれがそうとしか思えないように見えてくるから不思議。オッサンのプリケツから魂の浄化を見せる黒澤監督の手腕とタルコフスキー監督の感受性、それを引き出す映画というメディアに恐れ慄くばかりである。
恥ずかしながらアンドレイ・タルコフスキー監督作品を1つも見たことが無いのでこれを機に何か観てみようかな。
おわり。
(著:Dzi)
※実生活に忙殺され、3時間超の本作品を観る時間を作ることがなかなか難しく、
更新がだいぶ遅れてしまったこと、この場にてお詫びします。
クロサワ作品2作目ということで、前回のようなスタイリッシュな作品を想像して本作品に挑む。
まぁでも侍って言ってるし、そこそこに泥臭いのかなぁとも思っていたが、想像以上だ。
しかし、エキストラ一人一人がしっかりと「悲惨」を演じているのはさすがだなと思った。
というのが、入りの感想。
しかし、この時代の役者のこと、全く知らないなぁと再認識。三船敏郎以外名前ではピンとこないなー。
それはさておき、この重苦しい映像と音楽。たまらなく好きだぞ。
一定のリズムで叩かれる太鼓の音、最初の場面の緊張感を促すのにここまでシンプルで、かつここまで効果的なものがあるだろうか。
モノクロームが「それ」を強調するのか、一人一人の役者の表情が強いんだ。
そう、百姓一人ピックアップしても、立ち位置を表現することに余念がない。
「天国と地獄」の時も書いたけれど、画面ないの全てに隙がなく、画面いっぱいで表現しようとしているのが印象的。本作においては、「間」より「密」の美学を存分に発揮している気がするのが、映像としてみた時の違いかなぁとも思ったり。
しかし、この時代の映画でマルチカメラって一般的だったのかな?本作では、このマルチカメラの切り替えによる、心情描写の「主」の切り替えが巧妙に行われていて、妙に感心してしまった。
ストーリーはというと、当時劇場ではインターミッション式をとっており、2部で構成されていたということだが、ストーリー構成的には3部なんだね。
まず第一部の「勇者が挙ってくるワクワク感」がたまらない。
ちょっと稚拙な表現かもしれないけど、RPGをやっているような感覚に陥る。
(剣客としての素質の見分け方がなかなかいいね。菊千代は思いっきり失敗したが(笑))
また、その一人一人が異様なまでに魅力的。
特に、志村喬演じる島田勘兵衞は少なくとも第一部では圧倒的な魅力を表出させている。言葉、仕草、動き一つ一つに大物感があり、これなら人はついていけるという人間性を感じさせられる。(この役者、天国と地獄でも捜査本部長として出演しているんだね。)
あと、勝四郎がなんかかわいいねw百姓への気遣いも素敵すぎる。
五郎兵衛の笑顔での承諾も最高だ。
薪割りに「野武士を斬ってみないか」ってのも好き。(平八)
「古女房」っていう言い方、なんか味があっていいなぁ。(七次郎)
一度断った久蔵が戻ってくるところもええのぉ。
…菊千代は…入りはね(笑
「侍なら常軌を云々」の直後だったし、少し笑ってしまった。
ただ、目が猛将の目をしているのが印象的だった。
この辺りが、三船のすごいところなのだろう。
しかし、百姓と侍の生活差を「米」「稗」という対比で幾度か表しているが、人間の根本がこれほど違うんだぞという表現として、心に「来る」ね。
第二部。
菊千代の狂気的魅力が前面に出始めて来る。
「7人揃ったな」の場面がすごく良い。三国志の桃園とは描写や場面はまったく違うけど、一つになったという点で、私の中で同カテゴリの印象的名シーンだ。
野武士との戦いの準備だが、地形を入念に下見してブリーフィングしているところなど、勘兵衛の知性感じるところだ。
一方、菊千代は力を以ってして制するための「強さ」を感じるところ。
弱々しく逃げ腰で暮らしてきた百姓に闘志と戦い方を彼なりに教えているのだと考えると、やり方はともあれ強烈な求心力を「映画を観る側」には与えてくれるのだ。
それと、印象深かったのが勝四郎と志乃の場面かな。
髪を切られて「男」となった女性を追い回し、女性と気づいた瞬間の描写。
33歳Dziは妙にドキドキしてしまったぞ。
今の感覚でも美人と感じるこの人、誰なんだろう。
有名な女優さん?あとで調べてみよう。
しっかし、菊千代の狂気。三船の演技力がすごすぎる…。
旗の菊千代「△」。なかなか面白い冗談だ。しかし、それほどに狂気なんだわ…。
でも子供にすごく好かれる優しさや人を笑わせるユーモアを持ちあわせており、その表裏が相乗効果で恐ろしいまでの人間力に心を動かされる。
「 他人を守ってこそ自分も守れる、己のことばかり考える奴は己を滅ぼす奴だ」
勘兵衛格好良すぎるでしょうが。こんなことを言ってくれる人物になりたいものだ。
さて「休憩」だが、この休憩中の挿入曲が味があっていいなぁ・・・。
百姓の村に侍が溶け込んでいく様、侍が「言葉」を大事にしている様。
一つ一つに情があり、人の魅力に吸い込まれそうになるんだよなぁ。
この感覚、うまく表現できないんだ。
そして、菊千代は虚勢をはっているが実は結構小心者である一面を見せるところ、
人間味があるんだよねぇ。狂人なんだけどね。
エンターテインメント性にも非常に優れている。狂人なんだけどね。
余談だが、エキストラを含む演者の体つきを見ていると、現在の人々のそれとまったく異なる。背丈は小さいが、引き締まっている。戦後9年しか経っていない時代の映画だから、それもある意味納得なのだが。
さて、勝四郎の恋模様が気になるDziなのだが、カメラワークがすごい。
2つの相反する心情を、カメラワーク一つでここまで強く表現するかと。
あと、白黒なんだけど志乃と勝四郎の二人のシーンには色が見える。
なんか、しっかりと花畑なんだよ。私の頭の中では。(ちょっと危ない人みたいだなw
まってました!野武士参上!と思ったが、菊千代空気を読まず。
ドキドキを返してくれたまえ。なーんて。
またまたストーリーから離れるけど、この時代にこの撮影クオリティはどういうことだ。
私が知らないだけで、すでに撮影手法はこの時代には確立されていたのかね?
三脚は当然あるにしても、スタビライザーとかレールとか。
スイッチングも的確だし、遠近感を使ったスピードの描写も本当に迫力目一杯。
クロサワの美学がこういうところに出てるというのかね。
さてさて、いよいよ野武士の住処へ突入。
チャンバラすごい。(小学生並)
しかし、利吉の奥さんの表情が本当に鬼気迫り恐ろしい。
人身御供として囚われた奥さんが目の前で火に飛び込んでいく姿、
実際に自分だったら気が触れてしまうだろう。
ここで一人、失う。
さて、住処を焼き討ちにあった野武士達。
ついに村を襲いにくる。しかし、抜け目のないブリーフィングをしていた 侍サイド、
さすがである。
菊千代が百姓を士気鼓舞する場面がちょいちょいあるが、なんか好き。
彼なりに一体感を出そうとしているんだろうなと。
まぁ、基本狂人なんだけど。
そして、とうとう百姓村が焼き討ちにあう。
とことん悔しがり、感情のままに動く菊千代。
ここで私は、菊千代が大好きになる。
赤子を抱きしめた場面で涙した。
野武士の大群再びである。が、勘兵衛の「少しずつ討つ」作戦が功を奏し、
野武士は混乱する。どの時代の戦も、策は強者にも討ち勝つ力を持つ。
それにしても、菊千代は相変わらず狂人だ。いい意味で。
野武士の武具を身につけて、相手を欺き討つんだからなw
まぁ勘兵衛にめっちゃ怒られるわけだが(笑
このあたりまでくると百姓も士気がアゲアゲ状態。
顔つきが百姓のそれではない。野武士に対して勇敢だ。
それもこれも勘兵衛の軍師っぷりのおかげだと思うが。
でも菊千代の人間味も少なからず百姓の士気に影響を与えていると思うんだ。
そして、訪れる与平と五郎兵衛の死である…。
ここが菊千代の心の分岐点。
おっと、ここで志乃と勝四郎。
この二人の駆け引き、たまらない。
限界まで我慢した愛し合う二人。極限状態だからこそより惹かれ合うんだろう。
一方で父、万造の心境は…。しかし、侍と百姓の 娘の恋はそこまで許されないものなのだろうか。時代とは残酷なものだ。
勘兵衛がすっかり落ち込んでしまった菊千代に酒を持っていくシーン、
さすが勘兵衛の人間力。勝四郎の件も笑に変えて、場を和らげるところもさすがである。
いざ最終決戦。
菊千代の気合が尋常ではない。また、勘兵衛も「知」だけでなく「技」を魅せてくれる強烈なまでに凄みのある戦闘シーンである。他の侍・百姓たちも全力だ。
抑圧された人間と、それを守らんとする力は映像を通して苛烈なまでに聴衆に訴えかける。
そして…。菊千代の死。しかしその最期は菊千代の生き様そのものだったように感ずる。
熱い。あまりにも熱い。
最終的に4つの墓。平静を取り戻した村。
侍と百姓の娘に戻った志乃と勝四郎。
「今度もまた、負け戦だったな。勝ったのはあの百姓たちだ。わしたちではない。」
勘兵衛のこの一言が重みを添え、終わる。
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世界のクロサワ。七人の侍。
紛うことなき名画である。
これぞエンターテインメント。内容は重く現代映画に慣れた我々が入るには少々の敷居があるが、これは時代を超えた本当のエンターテインメントなのだと。
そう感じさせる凄まじい映画だった。
(著:Dzi)
※実生活に忙殺され、3時間超の本作品を観る時間を作ることがなかなか難しく、
更新がだいぶ遅れてしまったこと、この場にてお詫びします。
クロサワ作品2作目ということで、前回のようなスタイリッシュな作品を想像して本作品に挑む。
まぁでも侍って言ってるし、そこそこに泥臭いのかなぁとも思っていたが、想像以上だ。
しかし、エキストラ一人一人がしっかりと「悲惨」を演じているのはさすがだなと思った。
というのが、入りの感想。
しかし、この時代の役者のこと、全く知らないなぁと再認識。三船敏郎以外名前ではピンとこないなー。
それはさておき、この重苦しい映像と音楽。たまらなく好きだぞ。
一定のリズムで叩かれる太鼓の音、最初の場面の緊張感を促すのにここまでシンプルで、かつここまで効果的なものがあるだろうか。
モノクロームが「それ」を強調するのか、一人一人の役者の表情が強いんだ。
そう、百姓一人ピックアップしても、立ち位置を表現することに余念がない。
「天国と地獄」の時も書いたけれど、画面ないの全てに隙がなく、画面いっぱいで表現しようとしているのが印象的。本作においては、「間」より「密」の美学を存分に発揮している気がするのが、映像としてみた時の違いかなぁとも思ったり。
しかし、この時代の映画でマルチカメラって一般的だったのかな?本作では、このマルチカメラの切り替えによる、心情描写の「主」の切り替えが巧妙に行われていて、妙に感心してしまった。
ストーリーはというと、当時劇場ではインターミッション式をとっており、2部で構成されていたということだが、ストーリー構成的には3部なんだね。
まず第一部の「勇者が挙ってくるワクワク感」がたまらない。
ちょっと稚拙な表現かもしれないけど、RPGをやっているような感覚に陥る。
(剣客としての素質の見分け方がなかなかいいね。菊千代は思いっきり失敗したが(笑))
また、その一人一人が異様なまでに魅力的。
特に、志村喬演じる島田勘兵衞は少なくとも第一部では圧倒的な魅力を表出させている。言葉、仕草、動き一つ一つに大物感があり、これなら人はついていけるという人間性を感じさせられる。(この役者、天国と地獄でも捜査本部長として出演しているんだね。)
あと、勝四郎がなんかかわいいねw百姓への気遣いも素敵すぎる。
五郎兵衛の笑顔での承諾も最高だ。
薪割りに「野武士を斬ってみないか」ってのも好き。(平八)
「古女房」っていう言い方、なんか味があっていいなぁ。(七次郎)
一度断った久蔵が戻ってくるところもええのぉ。
…菊千代は…入りはね(笑
「侍なら常軌を云々」の直後だったし、少し笑ってしまった。
ただ、目が猛将の目をしているのが印象的だった。
この辺りが、三船のすごいところなのだろう。
しかし、百姓と侍の生活差を「米」「稗」という対比で幾度か表しているが、人間の根本がこれほど違うんだぞという表現として、心に「来る」ね。
第二部。
菊千代の狂気的魅力が前面に出始めて来る。
「7人揃ったな」の場面がすごく良い。三国志の桃園とは描写や場面はまったく違うけど、一つになったという点で、私の中で同カテゴリの印象的名シーンだ。
野武士との戦いの準備だが、地形を入念に下見してブリーフィングしているところなど、勘兵衛の知性感じるところだ。
一方、菊千代は力を以ってして制するための「強さ」を感じるところ。
弱々しく逃げ腰で暮らしてきた百姓に闘志と戦い方を彼なりに教えているのだと考えると、やり方はともあれ強烈な求心力を「映画を観る側」には与えてくれるのだ。
それと、印象深かったのが勝四郎と志乃の場面かな。
髪を切られて「男」となった女性を追い回し、女性と気づいた瞬間の描写。
33歳Dziは妙にドキドキしてしまったぞ。
今の感覚でも美人と感じるこの人、誰なんだろう。
有名な女優さん?あとで調べてみよう。
しっかし、菊千代の狂気。三船の演技力がすごすぎる…。
旗の菊千代「△」。なかなか面白い冗談だ。しかし、それほどに狂気なんだわ…。
でも子供にすごく好かれる優しさや人を笑わせるユーモアを持ちあわせており、その表裏が相乗効果で恐ろしいまでの人間力に心を動かされる。
「 他人を守ってこそ自分も守れる、己のことばかり考える奴は己を滅ぼす奴だ」
勘兵衛格好良すぎるでしょうが。こんなことを言ってくれる人物になりたいものだ。
さて「休憩」だが、この休憩中の挿入曲が味があっていいなぁ・・・。
百姓の村に侍が溶け込んでいく様、侍が「言葉」を大事にしている様。
一つ一つに情があり、人の魅力に吸い込まれそうになるんだよなぁ。
この感覚、うまく表現できないんだ。
そして、菊千代は虚勢をはっているが実は結構小心者である一面を見せるところ、
人間味があるんだよねぇ。狂人なんだけどね。
エンターテインメント性にも非常に優れている。狂人なんだけどね。
余談だが、エキストラを含む演者の体つきを見ていると、現在の人々のそれとまったく異なる。背丈は小さいが、引き締まっている。戦後9年しか経っていない時代の映画だから、それもある意味納得なのだが。
さて、勝四郎の恋模様が気になるDziなのだが、カメラワークがすごい。
2つの相反する心情を、カメラワーク一つでここまで強く表現するかと。
あと、白黒なんだけど志乃と勝四郎の二人のシーンには色が見える。
なんか、しっかりと花畑なんだよ。私の頭の中では。(ちょっと危ない人みたいだなw
まってました!野武士参上!と思ったが、菊千代空気を読まず。
ドキドキを返してくれたまえ。なーんて。
またまたストーリーから離れるけど、この時代にこの撮影クオリティはどういうことだ。
私が知らないだけで、すでに撮影手法はこの時代には確立されていたのかね?
三脚は当然あるにしても、スタビライザーとかレールとか。
スイッチングも的確だし、遠近感を使ったスピードの描写も本当に迫力目一杯。
クロサワの美学がこういうところに出てるというのかね。
さてさて、いよいよ野武士の住処へ突入。
チャンバラすごい。(小学生並)
しかし、利吉の奥さんの表情が本当に鬼気迫り恐ろしい。
人身御供として囚われた奥さんが目の前で火に飛び込んでいく姿、
実際に自分だったら気が触れてしまうだろう。
ここで一人、失う。
さて、住処を焼き討ちにあった野武士達。
ついに村を襲いにくる。しかし、抜け目のないブリーフィングをしていた 侍サイド、
さすがである。
菊千代が百姓を士気鼓舞する場面がちょいちょいあるが、なんか好き。
彼なりに一体感を出そうとしているんだろうなと。
まぁ、基本狂人なんだけど。
そして、とうとう百姓村が焼き討ちにあう。
とことん悔しがり、感情のままに動く菊千代。
ここで私は、菊千代が大好きになる。
赤子を抱きしめた場面で涙した。
野武士の大群再びである。が、勘兵衛の「少しずつ討つ」作戦が功を奏し、
野武士は混乱する。どの時代の戦も、策は強者にも討ち勝つ力を持つ。
それにしても、菊千代は相変わらず狂人だ。いい意味で。
野武士の武具を身につけて、相手を欺き討つんだからなw
まぁ勘兵衛にめっちゃ怒られるわけだが(笑
このあたりまでくると百姓も士気がアゲアゲ状態。
顔つきが百姓のそれではない。野武士に対して勇敢だ。
それもこれも勘兵衛の軍師っぷりのおかげだと思うが。
でも菊千代の人間味も少なからず百姓の士気に影響を与えていると思うんだ。
そして、訪れる与平と五郎兵衛の死である…。
ここが菊千代の心の分岐点。
おっと、ここで志乃と勝四郎。
この二人の駆け引き、たまらない。
限界まで我慢した愛し合う二人。極限状態だからこそより惹かれ合うんだろう。
一方で父、万造の心境は…。しかし、侍と百姓の 娘の恋はそこまで許されないものなのだろうか。時代とは残酷なものだ。
勘兵衛がすっかり落ち込んでしまった菊千代に酒を持っていくシーン、
さすが勘兵衛の人間力。勝四郎の件も笑に変えて、場を和らげるところもさすがである。
いざ最終決戦。
菊千代の気合が尋常ではない。また、勘兵衛も「知」だけでなく「技」を魅せてくれる強烈なまでに凄みのある戦闘シーンである。他の侍・百姓たちも全力だ。
抑圧された人間と、それを守らんとする力は映像を通して苛烈なまでに聴衆に訴えかける。
そして…。菊千代の死。しかしその最期は菊千代の生き様そのものだったように感ずる。
熱い。あまりにも熱い。
最終的に4つの墓。平静を取り戻した村。
侍と百姓の娘に戻った志乃と勝四郎。
「今度もまた、負け戦だったな。勝ったのはあの百姓たちだ。わしたちではない。」
勘兵衛のこの一言が重みを添え、終わる。
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世界のクロサワ。七人の侍。
紛うことなき名画である。
これぞエンターテインメント。内容は重く現代映画に慣れた我々が入るには少々の敷居があるが、これは時代を超えた本当のエンターテインメントなのだと。
そう感じさせる凄まじい映画だった。



